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イタリアの靴というと、どんなイメージを思い浮かべるだろうか。モード? あるいは手仕事を駆使したドレスシューズ? 前者は一目瞭然、誰もが認めるところだろう。一世を風靡したブランドは枚挙に暇がないし、ハイブランドのシューコレクションは大概イタリアのファクトリーが生産を請け負っている。
問題は後者で、果たして何を持って手仕事というのか。何を隠そうこの僕が、ハンドメイドなんて単語が誇らしげに刻印されたその靴を胡散臭く思っていた。ファクトリー探訪はすでに経験済みにも関わらず、最近は記憶の定着が異様に悪く(笑)、久しぶりの現場は改めて新鮮な感動を生んだ。

かつてイタリアのデザイナーとかつくり手を取材して回ったとき、何で靴を選んだのと、飽きるまで聞いたことがある。すると一様に「2階が住まいで、1階が工房だったからさ」と答えたものだった。生まれたときから靴づくりをしているオヤジや家族の側にいれば、当然でしょうというわけだ。
これ、決して誇張ではない。今回お邪魔したボリーニもボントーニも、まさしくそれだった。2階の窓では洗濯物が風にそよいでいた。
つまるところ、ファミリービジネスである。例えばボリーニはオーナー、エンリコの父が裁断し、釣り込み、底付け、仕上げをエンリコとその親戚のアレッサンドロが手掛け、箱詰めをエンリコの母が行う、といった具合だ。
もちろん生産キャパもたかが知れている。ボリーニで日産20足、ボントーニにいたっては10足に満たないという。
オートメーション化された工場では、革の裁断は金型を用い、マシンでプレスして繰り抜く。マシンはもちろん、金型にいたっては新しいデザインのたびに起こさなければならず、それなりの生産足数が見込めなければとても手が出せる代物ではない。
よって手仕事は必然となる。革の手断ちは言わずもがな、アッパーを木型に沿わせる釣り込みも手で行うことが多い。
かといって消極的理由でその道を選んでいるわけではない。
革は天然のものだから、部位によって強度や表情が異なる。それぞれの個性を勘案してカタチにするにはマシンでは限界がある。手にしかなし得ない心遣いが履き心地はもちろん、顔つきをも変えてしまう。イタリアの職人はそこに、誇りをもつ。そのサマを評して日高さんは「魂を込める作業です」と語ったが、いい得て妙だ。
なだらかな草原の先に広がるアドリア海。抜けるような青空。マイナスイオンが見えそうなほど(笑)、澄み切った空気。旅の疲れも忘れて、とても穏やかな気持ちになれた。「妻を連れて、バカンスを過ごしたいんですよね」と語っていた日高さんの気持ちはよーくわかる。そんな土地で生まれ育ち、ドッカと根を下ろす彼らはどこまでも純朴なヒトなのだ。一儲けを企むよりも、誇りのもてる生業で、家族が養えればそれでいいと考えるほうがどうしたって自然だろう。そりゃもちろん、色気のあるファクトリーはそれなりに設備投資をするが、それは突発的な遺伝子と考えるべきだ。
蛇足を承知で、見栄えに優れるのはファッション先進国であるフランスなどの下請けとして感性を養ったことも大きい。が、そもそもが芸術的感性を具える職人を意味する、アルティジャーノという言葉をもつ国のヒトだからである。
田舎のばあちゃんが丹精込めて漬けたヌカヅケのように、その靴は真心がこもっている。そこのところをほんの少し意識しただけで、豊かなシューライフが送れるはずだ。
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ボリーニ
ミラノ郊外にある、避暑地として知られるカンタルーポにある。かつてはモードを牽引したパリの下請け産地として隆盛を極め、今もレディスにはハイブランドの生産を手がけるファクトリーもあるが、メンズはボリーニ一社を残すのみになってしまった。現オーナー、エンリコのおじが1945年に創業、靴づくり教室を開くなど同地の産業振興の立役者として今も大いなる尊敬を集めている。写真は仕上げのカラーリングを行うエンリコ。手染めに力を入れる理由を問うと、「情熱を注げば、一枚の革がアートになる」と語った。
ボントーニ
ス・ミズーラ工房としてマルケの中でも製靴産業の総本山、モンテグラナーロにて創業。「少しでもその良さを伝えたい」と2年前にプレタポルテを開始。といっても外注に出すブラックラピドを除けば底付けまで手で仕上げており、日産は10足にも満たない。イタリアの靴が最もよかった、1950年代のエレガンスを表現している。スキンステッチやパーフォレーションなど穴飾りからは、これ見よがしとは異なるツヤを感じる。イタリアの喜劇王トトなど往年のスターの写真が工房のいたるところに貼られていた。
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