よくそんな商売がやってられるねと笑われるが、僕は人見知りで緊張しぃだ。いい加減いい歳になったので取材に臨む際のモチベーションのあげ方は覚えたけど、素がそんなだから、相手がすごいヒトと思うとどうしたって縮こまってしまう。なのになぜか、そうならないヒトがいる。それどころか、気をつけないとタメ口きいちゃいそうなほど。このたびの紳士靴ブームの仕掛け人、長嶋正樹だ。
ニッポン靴業界史

「日本一の靴屋になるんだ、が口癖でしてね。面白いヒトだなと思いましたよ」
 振り出しは、高円寺にあるちっぽけな靴屋だった。業界人ならピンと来るだろう。長嶋さんが勤めた靴屋はあの、チヨダ。チヨダといえば全国に1000店以上を有する日本最大の靴チェーンで、現在は東証一部にその名を連ねている。長嶋さんに夢を語った男は今も現役で、チヨダのトップをはっている。
 手製靴から量産への転換期を読み切ってチヨダの今日の成功はあるのだが、それはともかく長嶋さんはショッピングセンターの郊外進出、業界では今も語り草になっているロングブーツの狂乱的なブームなど、70年代のエポックメーキングなモノ・コトを最前線で経験した。そしてやってくる波は、すべからく見事に乗りこなした。例えば最年少で店長に抜擢されたチヨダ初となる郊外店は、1年目から売上げ目標数値をクリアしている。
 次にやってきた波が、ヘビーデューティだった。長嶋さんは早速、アウトドアに特化した店をつくった。まだ海外の靴など皆無に等しい時期で、サンプルを手に「こういう靴をつくってくれ」と工場を日参した。

社名の由来

「職人の腕は確か。なのに日本の靴がいまいちパッとしないのは革が悪いからだろうと思った。そこで世界三大タンナーのひとつ、コステルの革を用意して、付き合いのあるファクトリーでつくってもらったんです。これが伊勢丹の目にとまり、受注会を開催してもらった。すると一足5万円を優に超えるのに50足以上のオーダーが入りました」
 それが、あのセントラル靴で製造した「山長(現・三陽山長)」だった。 「三陽山長」といえば日本固有のコバの仕上げ“ヤハズ”を復活させたことでも知られるが、これはチヨダ時代の記憶を思い起こしたものという。
「あの頃、高円寺にも手製靴職人が一杯いて、コバを底面に向かって斜めに削り落としていたんです。理由を聞いたら、ソールが薄く見えて上品だろうって」

 長嶋さんは一昨年、マークブラドックという会社を興し、同名ブランドを立ち上げた。伊勢丹がいち早く取り扱いを始め、横浜には「ダグマークソン」の名で直営店もオープンしている。 「私が憧れたあのアメリカは、今はほとんどそのカタチを留めていません。日本の靴産業もこのままでは、遅かれ早かれ同じ運命を辿る。しかし幸いなことに若いヒトが靴づくりに興味をもち始めている。チャンスは今しかないと思うんです」
 社名は愛犬のラブラドールレトリバーが黒毛なのでそこからとった。昔はそれほど興味がなかったのに、飼ってみたらかわいくて仕方がなく、犬のために家も車も購入を決めたほど、とか。帰り際に愛犬の名を尋ねたら、長嶋さんはニコニコしていった。 「アイビーっていうんです」
 緊張しない理由が、わかる気がした。

企画・取材・文:竹川 圭 写真:是枝 右恭 デザイン:光藤 剛

ながしままさき
チヨダを経て靴専門店「トレーディングポスト」(現・ライフギアコーポレーション傘下)、靴ブランド「山長」(現・三陽山長)を立ち上げる。2005年、新たにマークブラドッグを設立。ドレス「マークブラドック」「ダグマークソン」、スニーカー「ボールバンド」を展開している。60歳。

「なんでアメリカの靴はこんなにオーラがあるんだろう? それが知りたくてこの頃から渡米するようになりました。面白くて仕方がなかった。アメリカのファッション文化が最も元気だった時代ですからね。そうそう、『ポパイ』創刊前の木滑(良久)さんや石川次郎さんの道案内を務めたこともありました」
「アメリカに初めて足を踏み入れたとき、なぜか懐かしさを感じました。今思えば僕は、子供時分にすっかり洗脳されていた。親の仕事の関係で立川の米軍宿舎に入り浸っていたんです。きちんと折り目のついたチノパンを穿いた将校は格好良かったですねぇ。『リーバイス』を初めて手に入れたのはその頃。宿舎内の店で驚くほど安く買えたんです」
 こうして靴のヒトとしての土台ができあがるわけだけど、現在の話に移る前にもうひとつだけ、昔話を。90年代は足の健康がクローズアップされた時代で、"コンフォートシューズ"というコンセプトでさまざまブランドが登場した。今では一大ブランドに成長した「ペダラ」。これをプランニングしたのは、長嶋さんだ。
 僕が長嶋さんと初めて交換した名刺の肩書きは、靴専門店「トレーディングポスト」の取締役だった。だからずっとドレス畑のヒトと思っていた。ところが半生を振り返れば、そのまま戦後ニッポンの靴業界史になった。

1950年代のアメリカはニューイングランドをイメージした「ダグマークソン」。ベースはグッドイヤーなのに抜群に返りがいい。秘密はアッパーを袋状に縫い、硬い中底を排除することで可能となったプラットグッドイヤーという新製法にある。さらにこの靴、出し縫いのみ機械の九分仕立て。この値段は驚きです。¥92,400(ダグマークソン/ダグマークソンTEL.045-450-7300)

スニーカー業界においても長嶋さんは実は大御所で、聞けばあっと驚くブランドの数々(ここだけの話だが、例えばニューバランス)を日本に引っ張ってきている。「ボールバンド」はアイビー・ファッションの足元を飾ったスニーカーだが、残念ながら消滅していた。そこで商標を取得し、復活させた。ハイカットスニーカー¥18,900、ローカットスニーカー¥7,350(ボールバンド/パルテコルポTEL.045-450-7300)