その昔は高樹町通りと呼ばれ都電が走る庶民的な通りだったそうだ。東洋古美術を所蔵する根津美術館に近いことや、戦後に進駐軍を見込んで古美術品を扱う店が自然と集まるようになったという。70年代末にこの通りで骨董店を営んでいた中島誠之助氏が通りを宣伝しようと自身が作詞した「南青山骨董通り」というレコードを発売。その曲が脚光を浴び『骨董通り』という名前が広まった。全盛期には80軒近い古美術店が通りに軒を並べたというが、多くはバブル期の地価高騰で移転や閉店を余儀なくされた。
70年代中頃から若い経営者たちが個性溢れる店をオープンし、様々なクリエーターや粋な趣味人が集まりだす。そこに目をつけたファッション業界が出店を始め、主役の座はブランドのブティックに移っていった。主役は代わったが骨董通りには今も魅力的な店が並んでいる。今回はその魅力の一端をご紹介しよう。 |